教祖・教主・後継者

教祖 深田千代子 写真

教祖
深田 千代子(教祖 慈照院圓應智覺大姉)教祖の生い立ち

現在の兵庫県丹波市山南町井原に生まれる。その後、数え年33歳のときに、天啓を享け、幾多の奇蹟霊験を現し、「世の中の道具になる」というみ教えと、修法という霊導の道を遺した。

初代教主 深田長治 写真

初代教主
深田 長治(法名 圓通院天山宗覺居士)初代教主のあゆみ

教祖の長男。円応教を設立し、信者訓戒や日課勤行文、教典、教義概要編さんに取り組み、また、全国を回ってみ教えを広めた。円応教の隆昌発展に生涯を尽くした。

二代教主 深田充啓 写真

二代教主
深田 充啓二代教主のあゆみ

初代教主の長男。初代教主逝去にともない全信者の推挙を受け、昭和51年4月6日円応教教主に就任。現在、新宗連名誉理事長として活躍中。

教主後継者 深田惠子 写真

教主後継者
深田 惠子教主後継者のあゆみ

平成3年教主後継者「恵主」となり、現在は円応青年会名誉会長として青年育成にたずさわる。

教祖の生い立ち

明治20年10月3日 誕生(氷上郡小川村井原)
子守り奉公などをして家計を助ける
明治32年5月6日 母かる死亡
明治40年 笹倉三治と結婚
明治41年3月25日 長治(初代教主)誕生
明治41年4月20日 笹倉三治、商売の都合で愛媛県へ赴き、毒殺される
明治42年 河合静雄と再婚
大正8年7月16日 天啓を享ける。
この日を境に厳しい行に入る。
信者にこわれるまま、全国各地に足を運ばれる。
大正13年1月1日 行場日記を書き始める。
大正13年11月30日 最後の修法を行う。
大正14年1月6日 千代子昇天「病名:心臓弁膜症」(数え年39歳)

初代教主のあゆみ

明治41年3月25日 教祖の長男として生まれる。生まれてすぐに父・笹倉三治は毒殺される。
大正12年4月 家が貧しく進学を断念。小川村役場使丁に就職
大正12年12月25日 独学で兵庫県尋常小学校准教員試験に合格
昭和2年3月31日 兵庫県多紀郡八上尋常高等小学校訓導に
昭和22年4月1日 兵庫県尼崎市城内中学校教諭に
昭和23年6月10日 宗教法人円応教設立 官長に就任以来、教祖の遺文をもとに教典・教義書籍を発刊本殿建設等、本部聖地の整備充実を進める 
昭和24年3月31日 満24年間の教職を辞される。
昭和26年7月16日 感応のままに「日課勤行文」全文起草
昭和26年10月17日 新宗連 常任理事に就任
昭和27年2月6日 「円応教教典」「教義概要」を編纂、出版
昭和33年9月20日 新宗連近畿総支部会長に就任
昭和50年11月28日 新宗連副理事長・常任理事に就任
昭和51年4月3日 昇天(行年69歳)

教主のあゆみ

昭和12年2月27日 初代教主の長男として生まれる。
昭和46年8月 新日本宗教青年会連盟 委員長に就任
昭和50年11月 財団法人 新日本宗教団体連合会 理事に就任
昭和51年4月6日 教主に就任
本部聖地の整備充実を一層進め、教祖生誕百年祭の挙行と全県布教等を推進する
昭和60年4月 財団法人 日本宗教連盟 参議に就任
昭和61年8月 比叡山宗教サミット 常任委員に就任
平成元年4月 文部省宗教法人審議会 委員に就任
平成8年3月 新宗連理事長に就任
平成8年4月 財団法人 世界宗教者平和会議日本委員会 理事に就任
財団法人 日本宗教連盟 理事に就任
平成11年4月 財団法人 日本宗教連盟 理事長に就任
平成16年4月 財団法人 日本宗教連盟 理事長に2回目の就任

恵主の生い立ち

昭和43年1月6日 深田充啓教主の長女として生まれる。
平成2年3月 仏教大学文学部仏教学科 卒業
平成3年8月 教主後継者「恵主」となる。
平成6年7月 新宗連青年会23回ネパールワークキャンプ団長として参加
平成7年3月 新宗連青年会 副委員長就任
平成9年11月 円応青年会 会長就任
平成12年2月 新 新宗連青年会第15次アジア(中国)青年平和使節団 団長として参加